トピックス:オール・オア・ナッシング
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「オール・オア・ナッシング」は、次のように説明される状態です。
- 物事の道理が少しでも崩れていると感じると、それを受け入れることが難しい
- 完全でなければ満足できない、不完全だと耐え難い不満足感に見舞われる
- 白か黒か(完全か不完全か)の両極の評価しかなく、間のグレーな部分が認められない
このような状態に陥っていると、周りの人との折り合いがつかずに、周りの人を困らせ、本人も困ってしまうことが多く、最終的には、人間関係を悪化させることにもつながります。
このようなオール・オア・ナッシングと呼ばれる心理状態は、思考の問題として捉えられがちです。
しかし、そのように捉えてしまうと、人間関係を改善するために、思考(考え方)を変えなければならなくなります。
「考え方を変えた振り」はできるかもしれません。
ても、考え方を、本当に変えるのは容易ではありません。
考え方を変えようとすると、自分に生じる考えを否定しなければならなくなります。
自己否定です。
自己否定は「自分にとっての確かなもの」を消し去ってしまいます。
やがて、自分の本当の気持が分からなくなったり、自分がないと感じるようになったりするようになります。
「自分は生きている資格はない」という絶望感に囚われてしまうことにもつながります。
このように『考え方を変えること』によって解決しようとすると、逆に、苦しい気持ちを強くしてしまうのです。
では、どのように取り組めばよいのでしょうか?
取り組みのポイント
そのポイントを「白か黒か」と判断してしまうという表現を例に説明します。
「白と黒の間のグレーの部分が認められない」という解釈において、そのときに考える白や黒が、実は、グレーだったりします。
例えば、誰かと待ち合わせをしていて、「約束の時間の10分前には、待ち合わせの場所に着くべきだ」と考えている人には、約束の時刻ぴったりに着くことは黒ですが、「約束の時間を守るべきだ」という人にとっては白となります。
その逆でも同じようなことが言え、白と黒は入れ替わってしまいます。
また、「約束している人と会うことこそが大事だ」と考える人にとっては、いつ着くかどうかに対して白とか黒とか判断することにさえ至りません。
ですから、「全てか無か的な思考」を理解するためのヒントは
- どうして自分は、グレーな部分を、白(完全)と考えるのだろう?
- どうして自分は、グレーな部分を、黒(不完全)と考えるのだろう?
というところに隠されています。
ちなみに、これは、誰かのことを「オール・オア・ナッシング的な考えだ」と非難する人にも当てはまることです。
そこには、そう理解して受け入れざるを得なかった過去の事情があります。
その事情が理解できると、当時と現在を分離して認識するようになります。
そこで、「過去にあった事情が、現在の環境にあるだろうか?」と考えてみて下さい。
生まれ育った家庭には、今もその事情が残っていることは多いかもしれません。
しかし、職場や学校などには、そのような事情がないことの方が多いのです。
そこに気づくだけで、無理に考え方を変えようとしなくても、現在の事情に適応した考え方に自然に変わっていきます。
まとめると「オール・オア・ナッシング」的な思考は、
- 思考の問題ではなく、現状の認知の誤りによって起こる
といえるのです。
【参考】
「図と地」と「プラス思考とマイナス思考」 / 読むカウンセリング
そのような事情に気づくための参考にして頂くために、2つの例を説明します。
自由度のある健康的な行動とは、その時々の状況で自分が感じたことに基づいて考えて行動することです。
そのように行動すれば、普通は、自分の気持ちをある程度組み込んだ状況を実現することができます。
しかし、自分の気持ちを主張しても、最終的に相手の思い通りにするしかなく、自分の感情や感覚に従って行動しても仕方ない(自分の感情や感覚があてにならない)と感じるような状況では、そうはいきません。
例えば、日常生活の全ての行動に口出しされるような状況を考えてみましょう。
- 「暑いからエアコンをつける」と言っても、「涼しいからつけるな!」と指示される
- 食べたものがおいしいと喜んでいると、「これのどこが旨いんだ!」と否定される
このようなやり取りが繰り返されていると、自分の感情や感覚に従って行動すると、相手に否定されてつらい思いをさせられることになります。
普通の人なら、そんな生活には耐えられずに逃げ出してしまうことでしょう。
しかし、家庭にそのような状況があれば、その家族(特に子供)は、そこから逃げ出すことは出来ません。
耐えられない状況でも、何とかやり過ごすしかありません。
そこで、つらい思いをしなくても良いように、自分の生きる世界を支配している法則を見つけ出し、それに沿って対処するようになっていきます。
つまり、自分が安全・安心に生きていくためには、自分の感情や感覚よりも、『その場を支配する規則に当てはまっているか、当てはまっていないのか』の方が重要になってくるのです。
このような生き方が習慣化してしまうと、実際には、そんな普遍的な規則などは存在しない環境に身をおくと、行動の基準となるものがないので、気持ちがとても不安定になります。
そして、その不安定な気持ちを解決しようとして、
- 過去に身につけたルールに従って行動しようとする
- その世界には存在しないルールを見つけ出そうとする
- 自分自身が新しいルールを作り出し、そのルールに従って行動する
といった傾向が生じてしまうのです。
また、様々な決まりごとが細かく決まった集団を探し出し、そこに身を置くことで、心を安定させようとすることもあると思います。
ルールに従って生きるのは、その人の過去の環境においては当たり前の方法です。
その人は、当然、他の人も同じような感覚で過ごしているものだと信じて疑うことはありません。
ですから、他の人にも、そのルールを強要しがちになります。
そして、ルールを確認したり、新たな約束を取り付けることによって、
自分も他人も、『そんなルールが存在する空想の世界』に適応させようと働きかけてしまいます。
また、ルールにばかり意識が向いてしまっているため、自分や他人の感情や感覚には意識が向かいにくいところがあります。
そのような心理に支配されていますから、同じような状況でも、その時々によって異なる
- 細かな状況の違い
- 自分の気持ちや感覚
- 相手の様子から推し量った相手の気持ち
などを汲み取って臨機応変に反応する人をなかなか理解できません。
「あなたが言っていることは、この前とは違う!」と頻繁に責める人は、このような感覚なのです。
自分の感情や感覚に素直に反応している人たちから、ルールばかりに意識が向いてしまっている人を見れば、「オール・オア・ナッシング的な考え方の人」と理解されてしまいます。
でも、客観的に見れば、
- 現在も過去と同じやり方で、自分の感情や感覚を犠牲にして、環境に適用するために必死に努力している
と理解できるのです。
精一杯の心の叫び
自分の気持ちや考えをうまく言えない(伝えられない)と、その先に起こる出来事に自分の気持ちが反映されていることはまずありません。
自分の気持ちがたまたま汲み取られていることはあるかもしれませんが、自分の意志でそうできたという実感がないので、心が満たされた感覚を十分に得ることができず、どこか我慢しているような感覚をもつことになります。
また、『自分の気持ちを言い難い』という感覚を持っていると、思ったことを思ったときにサラッと言うことは難しく、自分だけの思考が繰り返され、我慢に伴うパワーが蓄積されていきます。
そのパワーが言い難さの力を超えたとき、それまでの静けさを打ち破り、爆発的に言葉が放出されます。
言い難さには理由があります。
- 自分の気持ちや考えを言っても、なかなか相手に受け入れなかった
- 自分の気持ちや考えを言ったことによって、自分にとって良いことが起こったことがない
これまでの人生の中で、このようなことが繰り返されてきたのです。
「話しても、どうせ受け入れられない」と感じていれば、それを口にするのは容易なことではありません。
そのような傾向のある人は、自分の気持ちや考えを言い出す前には、「これだったら相手に受け入れられるだろう」という最終提案になるまで、自分の中で練り上げているところがあります。
この練り上げる過程において、自分の本当の願いを相手に確認する前に、過去の経験に基づいて自分自身が次々と検閲を掛け、勝手に封じ込めてしまいます。
そんな風にしてやっとの思いで導き出した最終提案を、しかも断腸の思いで相手に伝えたのに、それを否定されたと感じたときのショックは相当なものだと想像できます。
オール・オア・ナッシングという言葉は、「少し反論しただけで極端にショックを受ける相手」を切り捨てるために説明するには便利な言葉です。
でも、相手がそのような反応するとき、それまでの相手の心の動きを想像してみて下さい。
また、自分がそのように反応してしまうとき、
- 自分がどれだけのことを考えたか
- どれだけのことを我慢しようとしたか
を振り返ってみて下さい。
突然キレたのでもなければ、オール・オア・ナッシング的な考え方になどにもなっていないということに気がつくはずです。
ここまで、「オール・オア・ナッシング」という言葉と関連のありそうな事情を 2つの説明をしました。
他にも様々な事情があると思います。
それらを大きく分類すると、次のいずれかに当てはまると思います。
自分にとって親密な人間関係において、
- 相手の気分が不安定で、時と場合によって言うことがコロコロと変わる傾向が強かった
- 相手に、他者を許容するゆとりがなく、自分の感情や感覚を優先させる傾向が強かった
- 相手が、特定の価値観に執着し、他者の価値観を受け入れない傾向が強かった
特に、子供時代の家庭の大人(主に、父親や母親)との関係による影響が非常に大きいと考えています。
自分自身のことで「オール・オア・ナッシング」という言葉が気になっているときは、自分の感情や感覚に意識を向け、それらを大切に扱おうとしてみて下さい。
また、原因と考えられる人間関係以外では、些細なことでも自分で勝手に決めてしまわず、相手に伝える練習をしてみて下さい。
ルールに従わなければならない感覚による囚われから次第に解放され、自分自身の感情や感覚にもとづいて、臨機応変に生きていけるようになっていけるはずです。
また、相手のことで「オール・オア・ナッシング」という言葉が気になる時も、相手の人生の中に、これまでに説明したような事情が想像できると、きっと、コミュニケーションのヒントが得られると思います。
そうしているうちに、やがて、「オール・オア・ナッシング」という意味不明な言葉は、気にならなくなることでしょう・・・。