トピックス:『分かり合う』ということについて
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「分かり合う」ということを文字通りに解釈すると、
- 相手の言っていることを、自分が理解する
- 自分の言っていることを、相手に理解してもらう
この2つが同時に成り立っている状態を指していると考えられます。
従って、逆に、次の何れかの状況がある場合、分かり合えていないことになります。
(1)相手の言っていることが理解できない
(2)自分の言っていることを理解してもらえない
これらは当たり前のように感じるかもしれません。
しかし、日々の生活の中で、「分かり合う」という言葉を意識することが多い人は、(2)に意識が向いていることが多いように思います。
つまり、「分かり合えない」は、「分かってもらえない」ということを指していることが多いのです。
また、(1)に意識が向いていても、「相手のことを絶対に理解しよう」という気持ちではないとき、多くの場合、『相手の言っていることは、受け入れられない。』『自分の言っていることの方が正しい。』などと、相手を非難するような心理状態になっています。
自分の言っていることを分かってもらおうとしても、このような雰囲気の中で発せられる言葉は、相手に、『自分の言っていることは無視されて、相手の言い分だけを押し付けられている』という印象を与えてしまいます。
相手がよほど心の広い人でなければ、このような言葉を聞き入れることは難しいと思います。
このように、「分かり合う/分かり合えない」ということを意識しているだけで、知らず知らずのうちに自分の言い分だけを主張してしまいがちになる恐れがあるのです。
つまり、「分かり合う」という言葉の裏には、多くの場合、「分かってもらいたい」という期待が隠れているのです。
● あなたの気持ちを理解しました。
● そして、私の気持ちを理解してもらえたと感じました。
お互いがこのように思えたときに、「分かり合えた」という状態が成立します。
そして、分かり合うための一連の作業は、そこでおわりです。
相手の気持ちを知ると、自然に、歩み寄ろうとする動きが、お互いの心に生じます。
そして、その結果、お互いが満足できる結果にたどり着くことができるのです。
自分の気持ちを伝えた後は、相手の気持ちの中に歩み寄りの動きが生じることを信じていれば良いだけなのですが、それを信じられないと、その先、つまり、相手が自分と同じように考えることを求めてしまいます。
『分かり合う』ということを例で説明します。
【例】
Aさんがカレーライスを食べたいと思って、Bさんをカレーライス屋に連れて行きました。
Bさんは、「私、うどんが大好き。でも、カレーがあまり好きではないの」と言いましたが、Aさんは「今日は時間がないからカレーライスで済まそう」と言い、カレーライスを食べることになってしまったとします。
数日後、Aさんは、Bさんと食事をすることになりました。
Aさんは、また、カレーライスを食べたい気持ちになっています。
そんなとき、Aさんが「そういや、Bさんはカレーライスが嫌いだって言っていたな・・・。
カレーライスはまた別の機会にして、今日は、別のものを食べに行こう」と考えました。
こんな感じです。
その時々で、自分の望みの強さも異なりますから、どの程度の歩み寄りになるかは分かりませんが、自分の気持を知らせておけば、何らかの歩み寄りがあるのは確かなことだと思います。
上の例で、次は「カレーうどん」を食べにいくことになったとしても、カレーということでは歩み寄りはないように思えますが、うどん好きのBさんのために、ライスを諦めたというように、どこかが少し歩み寄っていたりすることが多いと思います。
定食屋に行けば、Aさんはカレーを食べ、Bさんはカレー以外のものを食べることができるので、2人とも満足することもできます。
これらの例からもわかるように、歩み寄りの方法は、Bさんの思い通りにする以外にも、たくさんの方法があるのです。
もし、誰かに、全く歩み寄りがないように感じたとしたら、それは、次のいずれかだだと思います。
- 自分が、歩み寄ってくれていることに気づいていない
- 相手が、そのことをすっかり忘れてしまっている
- 相手が、全く歩み寄れない人である
忘れているだけなら、自分のことを相手に知らせておけば、次回に歩み寄ってもらえる確率は高まると思います。
このようなときは、英語の勉強で、繰り返し暗唱しなければ、英単語は覚えられないといったことと同じなのだと思います。
「相手を理解する」ということは、相手の要求を掟として記憶に焼き付けるというよりは、「相手の気持を知る」という言葉を使う方が正しいのだと思います。
次に、なぜ、相手の歩み寄りを信じることができなくなるのかを説明します。
頑なに自分の考えだけを通そうとする人と長い間共に過ごしているときのことを考えてみて下さい。
たまたま自分と相手の気持ちが一致したときは問題ないのですが、それ以外は、『相手の言ったことを理解する』ということは、『自分の気持ちを我慢し、相手の思う通りに行動しなければならない』ということを意味します。
ですから、そのような相手と過ごす中で、自分の気持ちを大切にしようとすると、相手を否定し自分の気持ちを押し通すしか道はありません。
そんなやり取りが習慣化してしまうと、他の人とのやり取りにおいても相手の歩み寄りが期待できなります。
自分の思う通りに相手が思ってくれないと、「自分の考えが拒否されて、相手の思いを押しつけられている」といった錯覚に陥ってしまいます。
そして、自分の思う通りに相手が思うまで、自分の考えが受け入れられていると思うことができず、自分の主張を続けてしまうのです。
もし、どんな相手に対しても「自分の気持を相手に分からせたい」という強い気持ちがあるとしたら、相手に自分のことを分からせる前に、「今まで、気持ちを聞き入れてもらえない状況で、よく頑張ってきたね。」と、まず、自分自身の事情を理解し、ねぎらってあげて下さい。
そして『知れば気持ちは動くもの』ということを、とりあえず知っておいて下さい。
無理に信じようとしなくても大丈夫です。
これも、知るだけで、きっと、心は自然に動き始めます。
自分と相手の気持ちに相違があるような状況で、どちらか一方の気持ちを採用して結論を出してしまうと、もう一方の人は不満な気持ちになってしまいます。
また、そのような結論は、それぞれが主張していた気持ちに、「正しい/正しくない」と判断するのと似たところがあります。
相手への心遣いがなければ、正しくないとされてしまった方の気持ちが、正しいとされた人の心に残り難いところがあります。
決めごとをしたとしても、人の気持ちは簡単には変わりません。
にも関わらず、一旦、約束によって解決してしまうとその後、同様の状況になったときに、その約束を黄門様の印籠のように持ち出して、「あのときはこう言った/言わない」という不毛な口論に陥りやすくなります。
ですから、お互いの気持ちに相違が生じているとき、相手が『自分の気持ちを押し付けようとする傾向』がそれほど強くない場合は、結論を出そうとせずに、お互いの気持ちが動くことを信じて、お互いの気持ちを知り合ったところで、留めてみて下さい。
そして、相手の気持が動いたかどうかを確かめられるのは、今ではなく、次の時だということを思い出して下さい。
また、相手に、「お互いの気持ちが違うから困ったね」などと言ってみても良いかもしれません。
「そうだね、困ったね・・・」というような言葉が返ってきたら、相手は自分を押し付けようとしていないことの表れだと考えられます。
お互いに、「困った困った」と言っていれば、そのうちお互いにとって良い結論が導き出されるものです。
『分かり合う』のイメージは次のようなものです。
- その場の人間関係において共通のたらいのようなものを用意して、そこにみんなが気持ちを投げ入れる。
- そして、各自が必要に応じてそれを取り出し吟味していく。
- 今は自分の気持ちが組み入れられていなくても、次回にはきっと組み入れてもらえる。
- もし、次回も気持ちが組み入れられていなかったとしても、それは、ただ、忘れているだけ。
- もう一度、自分の気持ちをたらいに投げ入れておけばそれでいい。
その時々に約束したり規則を取り決めたりしても何の解決にもなりません。
その約束を、次に守ることを保障することなど、誰にもできないのですから・・・。
そんなできるかどうかもわからない約束を取り付けることに、何の意味があるのでしょう。
そんな約束を相手に守らせても分かり合えたことにはなりません。
知れば心は動くのです。
そして、心が動いたかどうかを確認できるタイミングは今ではなく、次回なのです。
そう考えると「分かり合う」という誤解を生じやすい言葉より「知り合う」という言葉を使う方が、人間関係が丸く治まるような気がします。